令和モダニズム

 立原道造といえば「美しい詩を書く人で、昭和の文学少女に愛された昭和モダニズム詩人」ということで、中原中也や金子光晴の詩が好きな僕にとって立原道造の詩に出会うことなかった。思い返すと、福永武彦も立川正秋も渡辺淳一もほとんど読んでいない。1年半ほど前から耳がほとんど聴こえなくなり、心を入れ替えるつもりで、出来るだけ美しいものに触れるようにしている。ひとり令和モダニズムといったところである。
 立原道造は、戦争の臭いが漂い始めた1939年3月29日、戦争から遠くの離れるかように結核のため24歳で没した。多くの美しい詩を残した立原道造には戦争は似合わない。幻想的な傾向が強い立原道造にとって、戦争という現実は耐えられないものであっただろう、現実と違う美しい世界を創ることによって生き抜こうとしていたのかもしれない。

  「のちのおもひに」  立原道造

  夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
  水引草に風が立ち
  草ひばりのうたひやまない
  しづまりかへつた午さがりの林道を

  うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
  ──そして私は
  見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
  だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

  夢は そのさきには もうゆかない
  なにもかも 忘れ果てようとおもひ
  忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

  夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
  そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
  星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

 夢とか想いは、なかなか叶うものではない。この叶わなかった夢とか想いが迷子のように、しづまりかへつた山の麓のさびしい村の午さがりの林道をさまよっている。たとえ夢が叶ったとしても、人の一生とは永遠ではない。過ぎた時間は二度と戻る事もない。夢とか想いと共に、この世からさよならをしなければならない。だから、いつまでもいつまでも、日光や月光や草花や小さな生き物に語りつづける。

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